憲法改正の議論が進む中で、ひときわ大きな注目を集めているのが「緊急事態条項」である。
大規模災害や有事、パンデミックなどの非常時に、政府が迅速に対応できるようにする──
その説明だけを聞けば、反対する理由はないようにも思える。
前回の記事
で確認したとおり、憲法改正とは単なる条文の修正ではない。
国家権力の配置とバランスをどう設計するかという問題である。
では、緊急事態条項はその構造をどう変えるのか。
- 内閣にどの程度の権限が集中するのか
- 立法機能はどうなるのか
- その権限拡大に十分な歯止めはあるのか
「非常時だから仕方がない」という言葉で片づけてよい問題ではない。
非常時であっても、いや、非常時であるからこそ、権力の扱いにはより慎重な設計が求められる。
本記事では、緊急事態条項の仕組みと必要性を整理したうえで、制度としての構造的リスクと、導入するなら最低限求められる条件を検証する。
そもそも緊急事態条項とは何か
自民党改憲草案などで提案されている緊急事態条項は、簡単に言えばこうだ。
- 内閣が「緊急事態」を宣言できる
- 国会の昨日を一部停止できる
- 内閣が法律と同等の効力を持つ政令を出せる
- 国民に対して指示・命令が可能になる
つまり、権力を一時的に集中させる仕組みである。
問題は、これが本当に「一時的」で終わる保証があるのかどうかだ。
現法憲法では対応できないのか?
ここが最大の論点である。
日本はこれまで何度も大規模災害を経験してきた。
- 東日本大震災
- 阪神・淡路大震災
そのたびに、災害対策基本法や特措法の枠組みで対応してきた。
2020年以降のパンデミックでも、特措法改正によって緊急措置は実施された。
現行法でも、
- 避難指示
- 外出自粛要請
- 施設使用制限
- 医療体制の強化
など、多くの緊急措置はすでに可能である。
たしかに混乱はあった。
しかし、「憲法があったから何もできなかった」という事実はあるだろうか?
むしろ問題だったのは──
- 意思決定の遅さ
- 情報共有の不備
- 行政調整の混乱
- 政治判断の質
制度よりも、運用の問題ではなかったか。
緊急事態条項の本質的なリスク
歴史を見れば分かる。
非常時は、権力が強まる。
そして一度強まった権力は、そう簡単には元に戻らない。
アドルフ・ヒトラーは、
ワイマール憲法48条(大統領緊急令)を利用して権力を集中させた。
この条項は、議会を通さずに緊急措置を発動できる仕組みで、結果的にそれが独裁への入り口となった。
もちろん、日本が同じ道をたどると言いたいわけではない。
だが、構造としては同じだ。
「緊急時だから仕方がない」
この言葉ほど、民主主義を脆くするものはない。
なぜ今、改憲が必要だと言われているのか
本当に足りないのは条文か。
それとも──
- 国会の機動力
- 行政の調整能力
- 政治家の責任感
緊急事態条項を加えれば、政治の質は自動的に向上するのか?
むしろ、責任を曖昧にしたまま、権限だけを拡張する危険はないか。
問題は「できるか」ではない
緊急事態条項の議論は、しばしばこうなる。
「最悪を想定するのは当然だ」
たしかにその通りだ。
だが同時に、“最悪の権力行使”も想定しなければならない。
憲法とは、国民を縛るものではなく、国家権力を縛るためのものだ。
非常時こそ、その役割は重くなる。
それでも本当に必要なのか
問いはシンプルだ。
- 現行法で対応不能な具体例は何か
- それは改憲でしか解決できないのか
- 権力集中の歯止めは十分か
感情ではなく、不安でもなく、具体的な立法事実があるかどうか。
立法事実が示されないまま憲法を変えることは、法治国家としての手続きの正当性を損なう。
そこを抜きにして、「とりあえず入れておく」は非常に危うい。
結論──急ぐ理由は何か?
緊急事態条項をめぐる議論は、「賛成か反対か」という単純な二択では終わらない。
問われているのは、非常時にどこまで権力を集中させるのかという制度設計の問題である。
善意を前提にするのではなく、最悪の事態を想定して歯止めを設ける──それが憲法というルールの本来の役割だ。
そして、もう一つ忘れてはいけない議論がある。
その緊急事態条項を含む憲法改正を、最終的に決めるのは誰なのか。
どのような情報環境の中で、
どのような手続きによって、
国民の意思は形成されるのか。
制度の中身だけではなく、その決定過程もまた検証の対象である。
次回は【憲法改正⑦】として、
国民投票制度は本当に「国民の意思」を適切に反映できる仕組みなのかを整理する。
緊急事態条項の是非を考えるなら、その決め方まで含めて考えなければならない。













