2026年の衆議院選挙で与党が3分の2を超える議席を獲得し、憲法改正が現実味を帯びてきた。
ところで、そもそも憲法とは何だろうか。
この問いに対して、明確に答えられる人は、実はそう多くない。
改憲の是非を判断する前に、まずは原点に立ち返る必要がある。
憲法とは誰のだめにあり、誰を縛るためのルールなのか。
憲法と法律はまったくの別物である
日常生活で私たちが意識するのは「法律」だ。
刑法、民法、道路交通法など、守らなければ罰則のあるルールは身近に存在している。
しかし憲法は、それらとは性質がまったく異なる。
法律は、国民に向けられたルールだ。
一方で憲法は、国家権力に向けられたルールである。
国会、内閣、裁判所といった権力機関が、何をして良くて、何をしてはいけないのか。
その枠組みを定めているのが憲法だ。
つまり憲法は、国民を直接縛るものではなく、権力を縛るための最高法規なのである。
なぜ権力を縛る必要があるのか
「民主主義なのだから、選ばれた政治家に任せればいいのではないか」
そう思う人もいるかもしれない。
しかし歴史を振り返れば、権力はしばしば暴走してきた。
多数決で選ばれた政権であっても、一度権限を拡大すれば、反対意見を抑え込み、自由や権利を制限することは可能になる。
だからこそ近代国家では、「立憲主義」という考え方が確立された。
立憲主義とは
どれだけ多数の支持を得た権力であっても、憲法というルールの枠内でしか行動できない
という原則である。憲法は、国民の自由と権利を守るために、あらかじめ国家権力を縛っておく“鎖”の役割を果たしている。
その「鎖」を誰が変えようとしているのか
ここで重要な視点がある。
前述のとおり、憲法は権力を縛る鎖である。
では、その鎖を変えようとしているのは誰か。
現在、憲法改正を主導しているのは、まさにその“縛られている側”である政治権力だ。
もちろん、改正そのものが直ちに悪だとは言うつもりはない。
時代の変化に応じて見直しが必要になる場合もあるだろう。
しかし、原則として
権力を制限しているルールを、権力側が主導して緩めようとする
という構図には、慎重な目を向ける必要がある。
それは疑うというより、立憲主義の観点から当然求められる態度だ。
「国民を守るため」という言葉の前に考えるべきこと
憲法改正の議論では、しばしばこうした言葉が使われる。
- 国を守るため
- 非常時に対応するため
- 時代に合った憲法にするため
どれも耳障りのいい表現だ。
しかし、その中身を具体的に問わなければならない。
- 何から守るのか
- 誰の権限が強くなるのか
- その結果、誰の自由が制限され得るのか
憲法は、国家のための文書ではない。
国民の権利を守るための文書である。
この順序を逆転させてはならない。
改憲を判断する前に必要な姿勢
憲法改正に賛成か反対かを、今すぐ決める必要はない。
しかし、少なくとも一つだけ確かなことがある。
憲法とは、「権力を縛るためのルールである」という原則を理解しないまま、改憲の是非を判断してはならないということだ。
多数派が望めば何でも変えられる。
その発想自体を制限するために、憲法は存在している。
だからこそ、改憲の議論は「空気」や「雰囲気」で進めていいものではない。
まとめ
憲法は、国民を縛るものではない。
国家権力を縛るための最高法規である。
その鎖をどうすのかを決めるのは、最終的に国民だ。
だが判断するためには、まず原則を理解する必要がある。
次回は、
「憲法をかえないと日本は危険だ」という言説が、どこまで具体性を持っているのかを検証する。
憲法を考える前に、
私たちはまず、憲法の意味を取り戻さなければならない。













