「給料が上がらない」「物価ばかり高くなる」「将来が不安」──こんな言葉を、最近よく耳にしませんか?
スーパーで買い物をするたびに値上げを実感し、子どもの教育費に頭を悩ませ、老後の年金に不安を感じる。
私たちの生活実感として、日本はどんどん貧しくなっているように感じます。
でも、ちょっと待ってください。
日本って、昔はすごい経済大国だったはずですよね?
かつて日本は「世界の頂点」にいた
1980年代後半から90年代前半、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という言葉が、誇張ではなく本気で語られていた時代です。
日本企業が次々とアメリカの不動産やビルを買収し、日本製品が世界を席巻していました。
ソニー、トヨタ、パナソニックなど──日本ブランドは世界の憧れだったのです。
そして1995年、日本は世界経済の約17.5%を占める圧倒的な経済大国となり、そのピークを迎えました。
親世代や祖父母世代に話を聞けば、
- 頑張れば給料は上がる
- 家も車も手に入った
- 将来に不安なんてなかった
そんな言葉が返ってくるでしょう。
終身雇用が当たり前で、企業も個人も“成長を前提にした社会”がそこにありました。
日本はまさに、世界の中心に立っていたのです。
そして今、日本のシェアはわずか4%
それから30年以上が経った現在、日本の世界経済シェアは、わずか4%前後にまで縮小しました。
かつて世界の17%を占めていた国が、いまやその4分の1以下の存在感にまで落ち込んでいるのです。
経済規模でも順位を次々と落としています。
GDPでは中国に抜かれ、ドイツに抜かれ、ついにはインドにも抜かれました。
平均賃金では韓国に追い越され、OECD諸国の中でも下位グループに沈んでいます。
かつて「追いつけ、追い越せ」と言っていた国々に、
気づけば日本が追い抜かれる側になっていた──
これが現状です。
そしてこの衰退は、数字だけの話ではありません。
私たちの生活実感としても、確かに“豊かさが遠のいている”のを感じます。
- 物価は上がるのに給料は上がらない
- 税や社会保険料の負担は増える
- 将来への不安は強まる
- 生活に余裕がなくなる
かつて当たり前だった「右肩上がりの安心感」は、いまの日本にはありません。
生活者の体感としても、日本は確実に“縮んでいる国”になってしまったのです。
なぜ、ここまで落ちぶれたのか?
日本がここまで衰退してしまった理由は、ひとつではありません。
「失われた30年」は、複数の要因が絡み合い、長い時間をかけて積み重なった結果です。
なかでも、とくに大きかった要因を、順に見ていきます。
バブル崩壊の対応が遅すぎた
1990年代初頭にバブルが崩壊したあと、日本は立ち直るまで、あまりにも時間がかかりました。
銀行や企業が抱えた不良債権の処理を先送りし続けたことで、金融機関は貸し出しを控え、企業も投資ができない状態に陥りました。
結果として、
「失われた10年」は20年、30年へと延びていった。
企業も個人も極端にリスクを避けるようになり、
「挑戦より安定」「守りが正義」という空気が社会全体に広がっていきました。
デフレという“静かな病”
物価が下がり続けるデフレは、一見すると良いことのように見えます。
しかし実際には、企業は値下げ競争に追われ、利益が出ないため賃金を上げられない。
消費者は、「もっと安くなるかも」と買い控え、需要がさらに縮む。
この悪循環が、なんと20年以上も続きました。
その間に起きたことは、私たちが身をもって感じている通りです。
- 給料が上がらない
- 税金や社会保険料は増える
- 手取りは減り続ける
デフレは、国全体を“縮小モード”に固定してしまう静かな病でした。
非正規雇用の増加が格差を広げた
企業は人件費を抑えるため、非正規雇用を増やし続けました。
いまや働く人の4割近くが非正規です。
同じ仕事をしていても、正社員と非正規とでは給料も待遇も大きく異なる。
若者や女性が不安定な雇用に追いやられ、「努力しても報われない」という感覚が広がりました。
この二重構造が、まさに格差を広げていったのです。
デジタル化に乗り遅れた
世界がスマホ、SNS、クラウド、AIへと急速に移行するなか、日本はデジタル化の波に乗り遅れました。
- GAFAのような巨大IT企業は生まれず
- 行政も企業も紙文化が残り
- 生産性は上がらないまま
製造業中心の産業構造から抜け出せず、結果として賃金も上がらない国になってしまいました。
少子高齢化という重い荷物
働く人は減り続け、高齢者は増え続ける。
社会保障費は膨らみ、若い世代の負担は重くなる一方です。
そして、子どもを産み育てにくい社会が、さらに少子化を加速させるという悪循環に陥っています。
人口構造の変化は、経済の土台そのものを揺るがしています。
1割の金持ちと9割の苦しい国民
そして今の日本では、深刻な格差が広がっています。
株や不動産を持つ“上位1割”は資産を増やし続ける一方で、残りの“9割の普通の生活者”は、年々生活が苦しくなっている──これが現実です。
大企業は過去最高益を更新し、内部留保は過去最大を記録しています。
しかし、その利益が労働者の賃金として十分に回っているかといえば、答えはNOです。
金融緩和で株価は上がりましたが、恩恵を受けたのは株を持つ人だけ。
資産を持つ者と持たない者の差は、年々広がっています。
さらに、税負担の構造も生活者を追い詰めています。
消費税は上がり続け、法人税は下がり続ける。
教育費は高騰し、奨学金という名の“借金”を背負って社会に出る若者が増えています。
家計の余裕は奪われ、将来への不安は強まるばかりです。
日本はいつの間にか、
「1割の金持ち」と「9割の苦しい国民」
という二極化した社会へと変わってしまいました。
これは政治の失策ではないのか?
ここまで読んで、
「これって、全部政治の責任じゃないのか」
と感じた人もいるかもしれません。
確かに、政治の責任は非常に大きいと言えます。
- 労働市場の規制緩和で非正規雇用を増やした
- 消費税を上げ、法人税を下げた
- 教育や子育てへの投資を後回しにしてきた
これらはすべて“政策の選択”でした。
格差を是正し、生活者を支えるための政策はいくらでもあったはずなのに、それを十分に実行してこなかったのです。
ただし、すべてを政治だけのせいにするのも単純すぎるかもしれません。
グローバル化や技術革新は世界的な潮流であり、どの国も格差の拡大に直面しています。
少子高齢化も、一朝一夕で解決できる問題ではありません。
それでも、政治には「格差を和らげ、多くの人が安心して暮らせる社会をつくる責任」があります。
その責任を十分に果たしてこなかったことが、今の日本の姿をつくり出した──
そう言わざるを得ないのです。
日本は本当に「落ちぶれた」のか?
ここまで厳しい現実を見てきましたが、ここで一度立ち止まって考えてみましょう。
「日本は落ちぶれた」という表現は、実は一面的かもしれません。
確かに、日本の相対的な経済規模は縮小しました。
しかしそれでも、日本は今なお「世界3〜4位の経済大国」です。
街を歩けば、清潔で安全な環境があり、世界トップレベルのインフラが整っています。
電車は時間通りに走り、水道水はそのまま飲める。
停電はほとんどなく、災害対応も世界最高水準です。
技術力も健在です。
半導体製造装置、素材、精密部品──
世界のハイテク産業を支える“縁の下の力持ち”として、日本企業は今も欠かせない存在です。
アニメ、ゲーム、食文化といったソフトパワーでも、日本は世界中から注目を集めています。
治安の良さ、医療制度、教育水準の高さも、国際的に見れば圧倒的です。
夜道を一人で歩ける安全さ、落とした財布が返ってくる信頼性──
これらは世界では当たり前ではありません。
では、問題は何なのか。
それは、
変化に適応できず、持っている潜在力を活かしきれていないこと。
素晴らしい技術や人材があるのに、古い仕組みや価値観に縛られて、その力を十分に発揮できていないのです。
つまり──
日本は“ダメになった”のではなく、“変わるべき時に変われなかった”。
裏を返せば、
変わることさえできれば、日本にはまだ大きな可能性が残っている
ということでもあります。
私たちにできることは?
「じゃあ、どうすればいいのか」と思う人もいるでしょう。
まず大切なのは、現実を知ることです。
なぜ日本がここまで衰退したのか、誰がどんな選択をしてきたのか。
その背景を理解しなければ、変えることはできません。
そして、選挙に行くこと。政治に関心を持つこと。声を上げること。
「どうせ変わらない」と諦めてしまえば、本当に何も変わりません。
逆に言えば、諦めない限り、変化の可能性は残り続けます。
私たち一人ひとりは小さな存在かもしれません。
でも、9割の普通の生活者が動けば、社会は必ず動きます。
歴史を見ても、社会を変えてきたのはいつも“多数派の市民”でした。
日本が再び、多くの人が希望を持てる社会になるために。
今、私たちに何ができるのか──
その問いを、あなたと一緒に考えていきたいと思います。












